うつせみ(空き家)



 

 キム・ギドク監督の11作目の作品「うつせみ(空き家)」。「うつせみ」とは、「空蝉」と書いて、蝉の抜け殻という意味もあるし、当て字で「現身」と書いて現在生きている人間とも意味します。抜け殻のようにからっぽだけど、現在に生きてる儚い人間。そんな二人の物語だった気がします。

さすがキム・ギドク監督!と、うなってしまう演出でしたね。不思議だけど美しい世界でした。

テソクは民家のドアノブにチラシを貼って、そのチラシがはがされてない家(留守宅)に入って、まるで我が家の様に暮らす生活を転々としていた。普通に食事をし、風呂に入り、洗濯をし、壊れた電化製品を直し、形跡を残さず去っていく。

そんな中、一軒の留守宅に入ったテソクは、顔中あざだらけの美しい女ソンファに出逢います。彼女は旦那の独占欲のはけ口として、いつも殴られ抜け殻の様に暮らしてる女だった。




 ネタバレ追加


 最初、家に彼女が居るのに気づかなかったテソクだったが、彼女がその家に存在するのを知って驚き出て行こうとします。その時・・・彼女の旦那からの電話が・・・・

一度は家を出たテソクだったが、痛々しい彼女が気になって再び戻ります。そして・・・風呂で泣いてる彼女を間接的に癒してあげて・・・。そこに旦那が帰宅。また殴られそうになってるソンファを助けたのはテソクだった。ソンファはそのままテソクのバイクに乗って、二人の世界に旅立ちます。

夢の様な幸せな世界。良いことばかりではなかったけど、それでも二人で居るとその心の傷を癒しあい、慰めあうことができた。自然に愛し合うようになった二人。しかし・・・その幸せは長くは続かず・・・儚い至福の時間。まさに「うつせみ」の時間が終わりを告げ・・・

テソクを演じるジェヒは最初から最後まで一言も台詞を発しません。でも、彼の表情で彼の気持ちや心が伝わってきて、物語に惹き込まれていきます。

原題は「空き家」なんですよね。でも「うつせみ」って題が本当にぴったりです。まさにテソクもソンファも「うつせみ」なんです。

引き裂かれ、獄中に居るテソクは、まさに抜け殻であり幻のような存在に変わって行くが、「現身(うつせみ)」で、確かに生きてる人間で。

外に出たテソクは、気配は残して姿を消し、思い出の場所をめぐって、復讐したり、思い出を懐かしみ楽しんだり・・・。その場にテソクの姿は見えないけど、見てる私にまでテソクの気配を感じさせる事ができる演出には、「さすがはキム・ギドク」とうなってしまいました。

ラストシーン。う・・・うまい!!うますぎる。まるでテソクは存在せず、テソクの幻にソンファが愛を伝えた様にみえて、テソクは「うつせみ」だから、そこに実際に存在してると私は思います。旦那はそんな彼女の愛の言葉やほほえみを自分に向かって発していると勘違いする所も面白い!笑うおもしろさじゃなくて、上手い!とうなるおもしろさでした。

二人の愛が再び実を結ぶ瞬間は、幻はテソクではなく、二人の間で幸せそうに勘違いしてる旦那でした。二人の中で再び静かに燃え始めた愛の灯火により、「うつせみ」が旦那に変わった瞬間ではないでしょうか?

現実と幻が共存し、幻は幻覚ではなく、この映画の中では幻のようだけど確かな存在。実在。幻だと見える方が現実になっていき、現実だと思っていたものが、幻になっていく。

いつも心が痛くなり、重いテーマを突きつけられた気持ちの作品が多かった天才キム・ギドク監督。彼の今までにない新しい才能を見せてもらいました。

欲を言えば続きが見たかった。ここで終わったから余韻に浸れて良かったのでしょうか?最後、旦那が「絶対誰が来ても鍵をあけるなよ」と言って、仕事に出かけるんだけど、本当に誰が来ても・・・それが彼女にとって幻の存在になった旦那だったとしても、彼女は今、新しい現実の世界に居るから鍵をあけることはないでしょう。例え、旦那が自分の鍵を使って家に入ってきても、二度と彼女の心の鍵は開かない。彼女の目にうつるのはテソクしか居ないだろう。そんな気がするのは私だけでしょうか。「うつせみ」


                 

 
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